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現在のだんじりは、大正3年(1914)ごろ、三田市の鍛冶屋町から購入したもので(元々は神戸の住吉で使われていた。)、後に改造したのでかなり小さくなったが、購入時は今より相当大きく、三田から村まで、家々の屋根を引っかけ、瓦を割りながら持ち帰ったということからもその大きさが想像できます。 曳手の装束は、昔も今もほとんど変わりなく、白いシャツに白のパッチ(近年は白いズボン)、祭襦袢をはおり、足元は地下足袋(近年はスニーカー)を履きました。豆絞りを首に巻く者あり、また八巻にする者あり。 当時のだんじりは、小さく改造したとはいえ、現在よりもひとまわり大きく重いもので、曳手の減少するなか、曳回しは大変な重労働となっていた。(曳手が4、5人という年もあって、神社への上り坂では参拝客が助太刀したといいます。) この時、地区の若者が集まる消防団(第1分団)が「我々の手で伝統を引き継いでいきたい。」と申し出て、昭和56年(1981)から消防団(上上津親睦会)に巡行を委ねることにしました。傷んで、割れかけたコマには、鉄輪をはめるなどして、団員たちの心意気で動かしました。 こうした地区の若者の熱意に押されて、平成2年には再びだんじりを大改造するに至り、さらに小振りになって、購入当時の面影はほとんど無くなってしまいましたが、地区に残る唯一の文化財として、また神事をこえた地域のコミュニケーションイベントとして、氏子たちの熱意で守り、継承されています。 <*平成12年、体育の日が10月第二月曜日に変更される。秋祭りも新体育の日の開祭となる。> |
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○「上上津だんじり史」取材にご協力いただいた方々 |
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